お茶の時間は続けよう。

他界した妻とゆっくり向き合うためのブログです。

妻という存在

妻がいない日常が始まり、3年半になりました。

いつも、そこにいるのが、当たり前、だった

妻という存在。

その妻がいない日常は、ただ、

苦しく、悲しく、さみしく。

泣きたくなり、叫びたくなり。

最近は無気力な状態にもなりつつあります。

 

僕は人付き合いが得意ではなく、一人でいることが苦痛ではないほうです。

所謂、コミュ障というやつですかね。小学生のころから、今でいう社交不安症状が出始めたのが大きかったと思います。なので社会人になって日常で交流する友人等も、いませんでした。

 

そんな感じで人付き合いが苦手な自分でしたが、妻と一緒にいるのは、物凄く居心地が良かったんです。妻は僕にとっては、妻であると同時に、唯一人の親友でもあった気がします。

 

ほんとうに心をゆるせる唯一の人。

 

妻にたくさん支えられてきたし、また、妻を支えたいと思い頑張ってきました。

妻がいるから頑張ろう、と思えた日々でした。

 

そんな妻がいない日常。これからの人生。

何もみえなくなりました。

 

何気ない妻との会話、一緒にする食事、妻におやすみとおはようが言えること。

当たり前すぎて何も感じないような日常が、本当に贅沢でどれだけ幸せなことだったのか。痛切に思い知らされています。

 

幼稚な考えですが、時間が戻ればなぁ。と何度も思ってしまいます。

 

  ♪♪ 今日も話を聞いてくれて、ありがとうございました。(^^♪

 

 

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