お茶の時間は続けよう。

他界した妻とゆっくり向き合うためのブログです。

死について

今までは、死というものについて、向き合おうとしたことはありませんでした。

向き合いたくなかった、という気持ちが強かったです。

死とは、漠然としたものでしたが、恐怖や、悲しいといったイメージをもっていたからだと思います。

いつかは、自分も死を迎えるんだろう、とは頭の隅で思っていましたが。

 

目の前の生活が重要で。死について考えるより、学校や仕事での問題を考えることが大切なことでした。

だから、死についてなど考えない、考えている時間なんてない。できれば、考えたくない。皆さんも、似たような感じではないでしょうか。

 

人の死だけでなく、生き物の死を含め、何度かは死というものに直面してきた経験はあります。

また、映画や小説、アニメなんかで、死というもののイメージは幼いころから、構築されてきました。

もちろん、全ての命が尊いもので、それが失われることへの悲しみは大きい。

でも、世界中の失われる命、すべてに大きな悲しみを抱いてしまうと、こころが壊れて、毎日を生きていけないでしょうし。

だから、死というものは身近だけど遠く、漠然としたもの。なるべく考えたくないな、というものでした。

 

 

幸せや健康を願う大切な人(ペットもでしょう。)たくさんいると思います。

 

自分の大切な人が亡くなったら、本当に悲しくて、辛くて、耐えられないくらい苦しいんだろう。

 

それは当然のことで、身に染みる程わかることです。

 

でも妻を亡くし、それは違っていたと思い知らされました。

 

自分の大切な人が亡くなったら、本当に悲しくて、辛くて、耐えられないくらい苦しい

そんな程度のものではなかったです。

 

僕は何もわかっていなかった。

 

頭で考え、思っていた「死」など、頭で考え、思える程度のものでしかなかった。ということ。

 

大切な妻を亡くし、ようやくわかりました。

 

 

本当に自分の全てが終わったと感じました。

 

  (^^♪  今日も話を聞いてくれてありがとうございます。

 

 

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